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2014年07月30日

Antony & the Johnsons について。

美人。

当たり前のように日常的に使う言葉。

美人とは、字の通り「美しい人」と書きます。
「美しい」という形容詞は、古くは万葉集にも出てくる。

姿形の整った様を表す以外にも、
目に見えない有り様を表現するのにも使われる。
とても奥深い意味と意義がある言葉だと思う。

「美しい人」は優しく、強く、気高さを感じられる。

時に内面的な気性は、外面的な特徴を越え得ると思います。

内面の美しさこそ、外見的な美しさを支え得ると。


内面の美しさとは、ずばり優しさだと思う。
優しさは強さだ。


心から尊敬していた祖父が、生前に僕に言った言葉があります。

「強くならなくていい。自分の弱さを知っていればそれでいい。」

戦争を生き抜いた気象学者だった祖父。
この言葉は僕にとって一生のテーマです。





Antony & the Johnsonsというバンドがいます。



Antony & the Johnsons について。



役者で、ソングライターのアントニー・ヘガティが率いるバンドです。








アントニー・ヘガティはトランスセクシャルを公言しています。
トランスセクシャルとは、言葉通りセクシャリティが超越しているということです。

日本では性同一性障害なんて言葉がありますが、
そもそも性をどちらかに限定しないといけないってのが政治性を感じます。
政治性は暴力を内包します。
暴力ってのは、殴る、蹴る、殺す、などの現実的な行為以上に、
もっと内的な部分に本質があると思います。抑圧とか。


そもそも、男と女の厳密な定義が出来る人がこの世の中にいるのでしょうか?
男と女じゃないといけない理由は、男と女同士じゃないと子供ができないから?
子供を産めや増やせやという「常識」は近代以降のものです。
よかったら調べて下さい。
近代以降、国家という概念が生まれ、他国と競う=戦争を支えるためにできたものです。
人間は野生性を越え、理性と知性を獲得し、進化することで現在があると思っています。

別に、男か女かどちらかに限定しなくてもいいじゃないですか。
ゲイでも、レズでも、ホモでも、オカマでも、オナベでも、何だっていいじゃないですか。


セクシャルマイノリティー常に虐げられてきました。

個人の想いや愛をちゃんと定義せずに定められた、
「結婚」という制度やその基にある「常識」によって。

マイノリティは常に弱者です。

当たり前の「常識」下で、当たり前のように生きている僕達と同じ風景を見ていたとしても、
彼らには違った景色が見えていると思います。


圧倒的な抑圧、暴力の元に生きていくしかないマイノリティは、
日々、虚無と戦っているのだと思います。

そこで獲得する、知性と理性。
何よりも優しさ。
社会の中で常に弱い自分と向き合わざるをえないからこそ、
獲得し得る優しさ。

TVで有名なオネエ芸能人の底抜けの明るさ、強かさにも通じるものがある気がします。


アントニー・ヘガティの歌声は「天使の声」と形容されます。
僕にはそんな曖昧な宗教性で語れるほど、生易しいものではないと思っています。

終わりなき社会との闘争の中で、どうなろうとも信じるしかない「愛」。







こんなご時世だからこそ、
彼の音楽をもっともっと聴いてもらいたいです。



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Posted by donkubota at 07:24│Comments(0)音楽生活
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